私のパソコンをとうしての、視覚障害者との最初の出会いは、福澤諭吉の著作本をテキスト文にしてあげることから始まりました。
音声で読む、聞くために、テキスト文にどんなマークをつけたら良いのか、これで良いのかも解らず、自分で目をつむり音声ソフトとキー操作の練習をしたりもしました。
私は、e-TypistというOCRソフトを以前から使っていましたので、印刷された活字をテキスト文にすることには慣れていました。
ところが、図説・日本鳥名由来辞典のテキスト文には、大変苦労しました。約1年近くかかった大作となりました。そのお陰でジョン・グールドの図鑑の歴史的大作を玉川大学で目にすることができました。鳥との縁続きで、「私たちの自然」という財団法人:日本鳥類保護連盟が発行している月刊誌をテキスト文にすることを継続して行っています。
こうしているうちに、PCクラブのサポータとしてのお誘いを受け参加することになりました。3年目となりますが、まだまだ十分にはお役に立てていません。この間にパソコンの世界も進歩して、XPからVistaへ又、Officeソフトは2003から2007へと変わり視覚障害者も新しいものへの対応、そしてサポータの対応も勉強続きです。
Vistaの次のOSも出てきますが、音声ソフトに及ぼす影響の少ないことと、また一段と配慮されたものであることを期待しています。
今後、パソコンが視覚障害者にとって、とても有効な生活手段となる道具であることを広めることに努力したいと思っています。
早いもので、私がパソコンに触れてから12年になります。
今ではパソコンは、私の良きパートナーとしてその見えない目をサポートしています。私は、パソコンを開く時、まずはこのパートナーに感謝の気持ちを伝えます。そんな私も、その扉を開けるまでにはかなり格闘がありました。
以前から視覚障害者にとってパソコンは利便性が高いと言われ、私もその必要性を感じていましたがなぜかそのパソコンを避けて来ました。弱視の私は画面やキーボードの文字を読むことが出来ません。私に、あれほどあるキーが覚えられるのか?
覚えようとしたときから私の苦労が始まるんです。
そう思ったときいつもキーボードを避けていました。そんな私を大きくパソコンに近づけたのが、川崎市にある「盲人図書館」での音声パソコンの体験でした。私が驚いたのは「スクリーンリーダー」と呼ばれる音声ソフトです。なんと、入力する文字の読み上げやキー操作のガイドをしてくれるではありませんか。このソフトがあれば、見えない私にだってパソコンが扱えるかも知れない!私は今でもそのときの興奮を忘れません。そして決断しました。
こうして私は点字に引き続きこの図書館でパソコンの勉強をすることになりました。
それからまもなく週1回の基本勉強がスタートしました。勉強は想像したよりも楽しくて、私のパソコンアレルギーは消えて行きました。しかし、まだ自宅にパソコンがなかった私は勉強がなかなか思い通りに進みませんでした。
そんなとき私は、麻生区の障害者の作業施設である「映像工房ペリ」を知ることになります。代表のご好意によって作業所内のパソコンで復習が出来るようになりました。復習の場をいただいた私はその後の勉強に弾みがつきました。
勉強が進むに連れて、改めてパソコンの持つ利便性に驚きました。その機能を知れば知るほど私の生活の幅は広がって行きました。キーを動かしてその結果が期待通りになったときはほんとにうれしいものです。喜びで涙が出るときもあります。また気がつくと、自分に拍手を送っている時もあります。こうしてパソコンがどんどん楽しくなって行きました。
私は在職中、目が見えず悔しい思いをしたことがあります。文書の下書きには「わら半紙」を使用し、そこに大きな文字を書いたり消したりとても時間がかかりました。今こうして音声ソフトの入ったパソコンに文字を打ち込んでいると、あの日のことが思いだされます。
現在私は「あさおPCクラブ」で勉強を続けています。このクラブで学んだことは私の毎日の生活に生かされています。その成果のいくつかご紹介したいと思います。
まだまだ数えれば切りがありません。
私は現在埼玉県の富士見市に住所を移しましたが、ここでも視覚障害者の勉強会が行われています。この勉強会では私自身の復習を兼ねこの川崎で学んだことを仲間の皆さんにお知らせしています。勉強会には笑顔があり、「パソコンを知ってよかったね」と言う声が聞こえてきます。
川崎市の仲間の皆様、この「あさおPCクラブ」で私たちといっしょに学びませんか。そして感動して見ませんか!